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店主プロフィール

クラカメ堂店主プロフィール

●高柳 豊 
S38年 富山県氷見市に生まれる。
氷見市立南部中学校時代にカメラに興味を持つ。貧乏だったにも関わらず我侭を言ってYASHIKAエレクトロ35GXを買ってもらう。
子供ながらにf1.7の明るいレンズの写りには感激。いろんな写真を撮りまくったが、それらのフィルム、プリントが残っていないのは残念? 中学校時代は吹奏楽部でトランペットを吹いていた。回りから上手い上手いと煽てられ、本人も結構その気になっていた。

その後、富山県立氷見高校に進学。進学校だったので勉強もしたが、トランペットで音楽大学を志し、夜行列車に乗って東京までN響の津堅先生の所までレッスンに通ったりしたが、その過程であまりの音楽的な才能の無さに気が付き音楽の道を断念。一応勉強に専念。その頃、初めて女性と付き合う。しかし何故か彼女の写真は一枚も撮ってない。何故だろうか?

高校卒業後、一浪し、関西外国語大学外国語学部英米語学科へ進学。
割りと真面目に英語を勉強をして1回生の夏休みに週刊誌TIMEの知らない単語を全部書き出し覚えるという無茶な試みを行い、途中で挫折。でも結構語彙力がついて、同時に英語力もパワーアップ。
2回生からのゼミで社会学、教養で人類学を受講するなかであらためて学ぶ面白さに目覚める。そしてちょうどその頃、パソコンに興味を持ち、NECから出ていた当時のベストセラーパソコン NEC PC8801mkUを購入。ゼミの宿題をワープロで打ったり、当時凝っていたFMエアチェック(懐かしい言葉)のテープの目録を自作のデータベースプログラムで管理したりなど、コンピュータに興味は移って行く。

大学卒業後、NECの関連会社に就職。3ヵ月の研修後、東京のNEC本社へ配属。 当時世の中はバブルの最盛期。仕事も忙しく残業代が基本給と同じくらいになることも珍しくなかった。当時、横浜の青葉台の会社の寮に住んでいたので、そんなに生活費はかからなかったはずなのに、どうして給料が残らなかったのか、今でも不思議でならない。
入社2年目に日本政府のODA(政府開発援助)でモルディブ共和国へコンピューターシステムの導入にNEC側の担当者として2ヵ月半ほど出張。この時、記録用に持っていたのはキャノンのオートボーイ(3だったかな?)。一緒に来ていた関連会社の人が持っていた当時最新鋭のミノルタのα7000を見て、僕も欲しいなと思った記憶がある。モルディブのリゾートや、現地の人たちの生活の写真も何枚か撮ったが、ほとんど残っていない。あの頃はまだ写真への強烈な思い入れは無かったようだ。

バブル絶頂期から終了期に至るあまりの忙しさに耐えきれなくなった僕は、NEC関連会社を退職、英語の講師となり、やがてそこでも忙しくなり、講師として教える余裕が無くなり、企画管理の仕事がメインに。
写真への興味が頭をもたげて来たのはこの頃。キャノンのEOSKiss(初代)とタムロンの20〜200mmズームセットを購入。内灘海岸を中心に廃屋や漂流物を撮り始めた。その頃、カメラ雑誌やハウツー本で写真技術を読んではそれを実際に試して見て覚えこんだ。

現在食品会社のサラリーマンをやりながら、古物商免許を取得、クラカメ堂を運営する。


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