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Henri
Cartier-Bresson
アンリ・カルティエ=ブレッソン |
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■ アンリ・カルティエ=ブレッソン Henri Cartier-Bresson
(←Henri Cartier-Bresson,サン・ラザール駅,1932 マグナム・フォト東京支社発行“MAGNUM PHOTOS Guide Book”より引用。 photograph(c)MagnumPhotos)
■関連リンク -American Image Henri Cartier-Bresson
略歴 1908 8月22日、フランス、シャントルーに生まれる。 1923 絵画とシュールレアリズムに目覚める 1927,28 アンドレ・ロートに師事して絵画を学ぶ 1931 アフリカ、象牙海岸で1年過ごす。 1932 ニューヨークのジュリアンレヴィ・ギャラリ一にて個展を開く。作品はその後、マドリードでも発表される。 1934 民俗学調査隊に参加し、メキシコで1年過ごす。現地で個展を開く。 1935 アメリカに暮らすが、写真は撮らず、ポール・ストランドと共に映画製作に関わる。 1936−39 映画監督ジャン・ルノアールの助手をつとめる。1952−53ヨーロッパで暮らす。 1937 スペイン市民戦争のドキュメンタリー映画を製作する。1954デタント後初めて西側の写真家としてソ連に入国を許可される。 1940 ドイツ軍の捕虜となる。 1943年2月、3度目で脱出に成功する。1958−59中華人民共和国建国10周年記念のため中国へもどり、3ケ月を過ごす。 1943 フランスで地下活動組織MNPGDに参加する。マティス、ボナール、プラック、ルオー、クローデル等、画家や作家のポートレイトを撮影。 1944・45 パリ解放を記録するプロの写真家グループに所属して活動すると共に、戦争捕虜をドキュメントした映画「ル・ルトゥール」を製作する。 1946 ニューョークの近代美術館が、本人は戦死したものと信じて「追悼展」を企画。開催準備のため1年間アメリカに滞在する。 1947 ロバート・キャパ、デビッド・シーモア、ジョージ・ロジャー等と、写真家の集団、「マグナム・フォト」を設立する。ヨーロッパヘ戻り、写真を本格的に撮り始める。 1948−50 3年間アジアで過ごし、インドではガンジ一の死、中国では国民党政権最後の6ケ月ならびに共産党政権最初の6ケ月、インドネシアでは国の独立をドキュメントする。 1960 キューバのルポを撮影した後、ほぼ30年振りにメキシコへ赴き、4ケ月過ごす。その後カナダで暮らす。 1965 インドに6ケ月、その後日本に3ケ月滞在する。 1966 マグナム・フォトに作品の管理を委託し、本人は活動から退く。 1967 IBMの依頼で、「人間と機械」のプロジェクトを遂行する。 1969 1年の準備期間を経て、1970年、パリのグラン・パレで大規模な個展を開く。アメリカでCBSニュースのために、ドキュメンタリー番組を2本製作する。 1974 デッサンに専念するようになる。 1981 フランス文化庁より、写真グランプリ賞を受賞。 2000 在パリ
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ブレッソンの1930年〜1940年代の決定的瞬間のイメージを集めた写真集。多くの名作が収録されています。特に1950年代の写真は構図,被写体ともまるで一枚の絵画みたい。
ブレッソンが50年間にわたってとらえたパリのカットから彼自身がセレクトした130のイメージを集めた美しい写真集。
ヨーロッパ、アジア、アメリカ大陸で撮影した自然や都市の風景約100点をセレクト。壮大な山々、川の流れなどの地上の景観や都市風景がモチーフとなっている。
ブレッソンの20世紀後半の作品の中でも最も優れたポートレートが掲載されています。 パブロ・ピカソ、トルーマン・カポーティー、マリリン・モンロー、 ココ・シャネルなどの有名人を含む 134のモノクロイメージと鉛筆による8点のドローイングを収録。
彼の膨大な作品の中から彼自身と著作者のモンティエ氏が協力して新たにセレクションした写真集。ブレッソンの初期から現在に至るまでのキャリア分析しています。
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